ブルボン創業時代の「苦労話」と“機械”の物語
—— 関東大震災から柏崎の工場再建、そしてバンドオーブン導入まで。
新潟・柏崎発の菓子メーカー「ブルボン」。創業者・吉田吉造が掲げたのは「地方にも安定供給できる量産工場を」という志でした。工場火災や洪水、物流の壁を前に、それでも“機械と仕組み”で打開していく。その連続こそがブルボンの出発点です。本記事は、創業期のドラマを製造機(設備)の視点で辿ります。
1. 出発点:が灯した「地方量産」の決意
1923年、首都圏の工場が止まり菓子の供給も寸断。和菓子店「最上屋」を営んでいた吉田吉造は、翌1924年に柏崎駅前で北日本製菓を立ち上げ、まずはビスケットの量産に挑みます。保存性と栄養に優れるビスケットは、非常時にも役立つ“地域インフラ的なお菓子”という位置づけでした。
2. 相次ぐ災厄:火災・洪水・大火、それでも動かす
、操業まもなく工場火災。しかし地元有志の支援で、同年11月に株式会社化して即再建。その後も洪水や大火、そして1952年の再火災と試練は続きます。
現場の戦術:「残った設備は動かす」「更新は能力3倍」――止めずに立ち上げ、立ち上げながら増強する。災害を設備投資の好機へ反転する胆力が、会社を生かしました。
3. “機械”で攻める:国産→輸入→そしてバンドオーブン
3-1. 国産機から輸入機へ:ラインを縦に積む攻めの投資
、国産のドロップ製造機を導入。には輸入ドロップス機も加えて増産へ。ビスケットは2号機を増設し、品目の横展開と同時に設備の二重化・冗長化を進めます。
3-2. 1957年:社運を賭けたビスケット・バンドオーブン
転機は。固定窯で天板を入れ替えるやり方から、連続焼成できるベルト搬送式のバンドオーブンへ大ジャンプ。これは生産性×品質均一を劇的に引き上げ、以後の成長の背骨となりました。
意思決定の舞台裏:設備投資を巡って二代目・吉田順二と三代目・吉田高章の間で激論。結論は「行く」。この決断がのちのヒット群を“受け止める器”になりました。
4. 物流まで発明する:1953年、コンテナ時代を引き寄せる
柏崎は消費地から遠い——そこで1953年、国鉄へ直談判し運賃割引と柏崎駅の1トンコンテナ指定を実現。製造だけでなくサプライチェーン全体を設計し、不利を優位にひっくり返しました。
5. 戦中・戦後:非常時に寄り添う“工場”として
戦時には乾パンや粉味噌を供給、戦後は素早く民需へ転換。設備を守り増強しながら、ウェハースなどの新製品開発も継続。「社会の非常時に役立つ企業でありたい」という創業の志は、設備・オペレーションの判断軸になり続けました。
6. 量産とブランドが噛み合う:「ルマンド」大ヒット
創立50周年の記念商品ルマンドが大ヒット。ピーク時は月20億円規模の販売に達し、専用ラインを“毎月のように”増設して応える生産ラッシュに。ここでバンドオーブンによる連続焼成の強みが炸裂しました。
7. 現場を動かした“人”——小さな群像
- 吉田吉造(初代)
- 災害を見て量産工場を決意。火災・洪水でも操業を止めず、必要なら物流のルールまで作り替える現場系プロデューサー。
- 吉田順二(二代目)
- “やきもの”の職人気質。統制経済の難局でも品質を守り、上場や設備拡張で財務と生産の地盤を整える。
- 吉田高章(三代目)
- バンドオーブンという連続焼成の大投資を実現。需要の波を“受け止める器”を整え、のちのヒット連発へ。
8. まとめ:災厄を“装置化”で越える、柏崎のエンジニアリング魂
- 製造:国産機→輸入機→バンドオーブン。連続焼成で均一×大量を実現
- 物流:コンテナ指定・運賃交渉で距離の不利を解消
- オペレーション:火災・洪水でも止めずに立ち上げ、立ち上げながら増強
「地方だから無理」ではなく、地方だからこそ強い仕組みを設計する——創業期の決断群は、その後のロングセラー達の“味の安定”と“供給力”を支える基盤になりました。
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